[碑文]
(正面)
震災横死者之碑
(裏面)
明治三十年 根尾村有志者建之
(左面)
天變地異之最多災害者地震也矣、明治二十四年十月二十八日我邦有地震、岐阜県殊強震、愛知福井次之、美濃根尾谷以為震動根源之地、山岳崩壊、河川之決潰、地盤之亀裂、田面之陥落、不逞屈指人畜死傷、其数夥多令観者眼流悲涙、令聴者雷生寒栗、悲惨之状古来無可比焉、震災後経数月、予蒙山命巡回各村、封罹災者而恵於抜苦與楽之法楽、封窮迫者而傳於衣服飲食之資料、其間履凹凸之險路、渡涵濁之水渚、訪顛倒之家屋、慰死傷之悲惨、追想当時、則今猶棟然、貴可忘往事平哉、今茲有志者諸君將為震災横死者建設墓碑、誰有不随喜、賛成此美挙者、頃日以北野源雄君紹介、請碑陰言於予、予雖不敏所以不敢辞者、蓋由有法縁之深與情交之厚也、明治丁酉九月揶陰道人小泉了諦撰弁書
[所在地]
本巣市根尾市場 地蔵堂